50歳で公務員を退職。人生リスタートして楽しく生きる。

退職後に離婚でどん底 。人生最大のメンタル崩壊から復活 ◆「こうあるべき」を手放し、心地よい50代へ◆ラクして生きると楽しくなる

なにかを手に入れるより、「今、いいかも」って思える日々がうれしい。

明日は七夕ですね。

スーパーの一角に

短冊が付けられた

笹が置かれてるのを見て

「うわー懐かしいっ」と思いました。

 

子どもの頃は

何書いてたのかな?

あんまり思い出せないんですけどね。

 

▶小学生の頃のほろ苦い七夕の記憶の記事はこちら

 

で、ふと考えたんですよ。

54歳、無職、バツイチ独身。

そんな私が

今さら短冊に願いごとを書くとしたら──何?

願いごと、ざっくりすぎ問題

よく自己啓発書に書かれてますよね。

 

「願いごとは具体的に書け!」って。

 

「幸せになりたい」とか

「お金持ちになりたい」なんてのは

 目的地を入れずに

ビを起動してるようなもんで

どこにも着きませんよ、と。

確かに納得ではある。

 

「年収〇〇万円」とか

「海外旅行を年1回!」みたいに

目に見える形で

設定した方が動きやすいのはたしか。

 

でも今の私は

そういう強い

「◯◯になりたい!」っていう願望が、特にない。

 

正確に言うと

そこそこ元気で、それなりに暮らせて

ご機嫌で笑って生きてたい

くらいの

すんごくぼやけた願いしか出てこないかな。

「活動」しないと得られない時代?

酒井順子さんのエッセイ

『うまれることば、しぬことば』

にこんな話が出てきました。

 

今は「活動」しないと、求めるものが得られない時代になった

 

たしかに。

婚活、妊活、終活、あらゆる◯活があって

「手に入れるためには、動かなきゃいけない」

がデフォルト。

 

昔は自然な流れで手に入ったものが

いまは「活動」しないと手に入らない。

 

活動しないと始まらないし

始めたら始めたで

思うようにいかなかったときに

自分を責めてしまったり

プレッシャーになったりする。

 

努力は大切だけど

がんばったのに結果が出なかった時って

ものすごくしんどい。

 

で、私は思ったわけです。

いまの私には

「活動してまで欲しいもの」

がほとんどない。

手にれるための熱量を注ぐほどに

強く欲しい「なにか」はないんだなって。

願いというより「こうありたい時間」

この2日間

暑すぎるのもあって

ちょっとのんびりと過ごしてました。

 

冷凍パン生地でクロワッサンを焼いて

すいかを食べて

コーヒーを飲んで

窓からの景色をぼんやり見る。

 

そして

酒井順子さんのエッセイを読んで

「やっぱり私はこういう時間が、何よりも好きだな」と

あらためて感じました。

 

私が願いたいのは

何かを得ることじゃなくて

「こういう時間が、これからも続いてほしい」

ということ。

 

長野にいた頃ほどの絶景ではないけれど

 ベランダからの空が思ったより青くて

「あ、もうこれで十分かも」

と思ってしまったんですよね。

で、結局、短冊には何て書く?

もし、短冊に願いごとを書くとしたら。

毎日、まったりと。

空とコーヒーと本と、私。

そんな暮らしが

静かに、でもしっかりと続きますように。

 

そんなささやかな願いごとが

今の私にはぴったりかな。

 

願望って、壮大じゃなくていいんですよね。

動かなくてもいい願いがあってもいい

願いごとって

すごくがんばって叶えるものもあるけど

ただ静かに

「こうありたいな」

と思える日常を

そっと願うだけでもいいんじゃないかな、って。

 

それがいまの私の「願い」。

 

来年の七夕には

さて私は

どんな願いごとを書いてるかな〜?

 

それでは〜。

 

 

50代、もう自分の気持ちまで縛らなくていいよね

今朝のウォーキング中

前を歩いていた女の子がまあ可愛くて。

たぶん小学2年生くらいかな。

髪の毛が、もう見事に編み込まれててリボン付き。

さらに

いちごのついたゴムまで使っていて完ぺき。

思わず

「きっとお母さんが朝から頑張って編んであげたんだろうな」

って思うと、心がほっこり。

なんて思ってたら、ある記憶がふと浮かびました。

 

昔、職場の同僚

(子育て中のママ)が言ってたんです。

「小学生くらいまでの女の子が髪の毛をきちんとまとめてないと、親がちゃんとしてない感じしない?」

って。

 

わかる。わかるんだけど。

でも、私

小さい頃から髪を縛るのが大嫌いだったんです。

母ががんばって結んでくれるたびに、いつも我慢してた。

ある時、「もういや!」って爆発して。

その後は、適宜ヘアバンドをするように言われて

なんとか「ひらひらヘア」を確保。

やっと落ち着いたかと思いきや

あのヘアバンド、頭を締め付けられる感じがして

今でもかなり苦手。

で、最終的にはゴムを

びよーーーんって限界まで伸ばして使ってました。

あれ、もはやただの布だったよね?

 

妹に至っては

縛る時は黙って受け入れるけど

数時間後にはセルフ開放。

残されたのは、ゴム跡がついたザンバラ髪。

母には「みっともない!」と叱られてたけど

本人はご機嫌。

…姉妹そろって自由奔放ヘア。

 

でも、当時も思ってたんです。

風にひらひらなびく髪って

なんかいいなあって。

なんというか、女っぽくて

ちょっとかっこいい気がしちゃう。

その時の自分にとって

あれが一番心地よかったし

今も「ひらひら派」です。

 

もちろん、TPOってあるから

給食とか体育の時は結ぶべき時もある。

 

実際、昔温泉で

小さな女の子が髪の毛をプカプカさせて

湯舟に入ってるのを見て

高齢の女性が

「お嬢ちゃん、髪の毛をしばってから入りなさいね」

って言っていたことがありました。

 

人に不快感を与える場面では「縛る」ことも必要。

でもそれ以外のときって

本当に縛らなきゃいけないのかな?って。

 

 

そういえば、ずいぶん前だけど

同僚(同年代の女性)

がこんなことを言ってたんです。

 

「50代でロングヘアって、ちょっとどうかと思わない?」

 

うーん。

今やロングヘアの50代なんて当たり前。

むしろ「おばちゃんパーマ」のほうがレアです。

 

私のいた公務員の職場は

昔から働く女性が多くて

私が就職した30年ほど前でも

ロングヘアの人はちらほらいたけど

当時はまだ

「女の人がキレイでいるのは浮いて見える」

ような空気もありました。

 

だから、私たち世代って

 「この歳でこの髪型って…」

とか

「若作りって思われたら嫌だな…」とか

なんか妙に

髪型にすら

こうあるべき?に縛られがちなんですよね。

 

 

それに、「女はこうあるべき」ってやつ

実はけっこう根深い。

 

うちの父なんて、昭和の頑固親父そのもので。

ミニスカート禁止、ピアスなんてもってのほか。

私は、実はピアスを4つ開けてるんですけど

絶対に父親には言えませんでした。

バレたらほんと、ちゃぶ台返し?なレベル。

そんなふうに、子どもの頃からずっと

 「女なんだからこうしなさい」

って空気の中で育ってきたんだなぁと

今になってしみじみ思いだしました。

 

 

で、肝心の今の私はというと…

正直、いまだに

「その服、ちとイタイかな」とか

「髪、切った方がいいかな」

とか気になるけど

でも一方で

「いや、私が心地よければそれでいいじゃん」

 と思ってます。

少しずつ、縛りをほどいてる感じ

 

 

私たち50代って、まさに

「こうあるべき」

「え、それちょっとおかしくない?

もっと自由にいきたいんだけど」

その間で

ゆらゆらしてる世代だな〜って思うんです。

 

それって、髪型だけじゃなくて

服とか、働き方とか

人生の選び方とかもぜんぶ。

 

気づかないうちに

「見えない縛り」であれこれ

ギューーッ!とまとめちゃってて。

 

しかもついでに

自分の気持ちまで縛ってたりするんですよね。

それ、もったいないよなぁって。

 

だからこれからは

今まで積み重ねてきた

「見えない縛り」から

少しずつでも

ゆるめていけたらいいなと思ってます。

 

縛られるんじゃなくて

自分が心地いいと思えるほう

自由なほうを選ぶ。

なんか

そういう選択ができる

年齢に来たんじゃないかな、ふふ。

 

自分の「心地よさ」

ちゃんと大事にして

誰かのためじゃなくて

自分のスタイルで生きてく。

 

そんな50代、悪くない、うん。

 

 

それでは〜。

 

 

 

 

夏に寝不足…それ、むしろ正常です!私のリアルデータと開き直り宣言

夏は眠れない。それも当たり前!

最近、夜が寝苦しい。

エアコンつければ寒いし、消せば暑い。

トイレや暑さで夜中に目が覚めるし

朝起きた時の疲労感も半端ない。

「これって、年齢のせい?更年期?それとも私だけ…?」

 そんなふうに思ってる人

きっと多いんじゃないでしょうか。

でも、私は声を大にして言いたい。

「それ、普通です!」

スマートウォッチで記録したリアルな睡眠記録

私は睡眠がどれだけ大事か

ほんとーーに腹落ちしてます。

 

だからこそ、もう5年近く

スマートウォッチで

毎日の睡眠データを取り続けてきました。

春も、冬も。

そして今のこの酷暑の夏も。

寝た時間、深い眠り、レム睡眠

夜中に目が覚めた回数…全部データに残ってます。

 

そして

自分の体で実験してわかったんです。

「夏は、どうあがいても、眠れない。」

睡眠記録①冬はめっちゃ眠れてた

たとえばこれ。2021年の冬。

まだ公務員として働いていた頃の記録。

 

深い睡眠2時間38分、スコア80点。

この頃も朝4時起き生活で

今より睡眠時間は短いですが

それなりにぐっすり寝てました。

睡眠記録②春もまだ大丈夫

そしてこちらが今年の4月。まだ春でーす。

深い睡眠2時間52分、スコア89点。

やっぱり、まだ季節的に眠れています。

睡眠記録③そして真夏の入口…

先月の6月末のデータ。

7時間以上寝てても

深い睡眠はたったの1時間51分。

 

毎日数回

夜中に何度も目が覚めてるけど

それにしてはスコアはまあまあ。

もう、どうしろっていうの…と思うほどトライ

スマートウォッチで

睡眠ログを取り始めた頃から

 「どうしたらしっかり眠れるのか?」

と本気で試行錯誤してきました。

 

寝る前の水分制限。

足を壁に立てかけるストレッチ。

睡眠前のお風呂の時間調整

エアコンの温度設定も湿度調整も。

冷感寝具、呼吸法、寝る前の瞑想音楽…。

 

スコアが良くなりそうなことは全部やって

その結果もちゃんと朝チェックしてきました。

 

「あ、今日はちょっと深い睡眠が増えたかも!」

 

そんなふうに

こんなときに自分は良く眠れるんだ!

なんて小さな変化に一喜一憂しながら

コツコツ続けてきたんです。

 

でも、それでも…やっぱり夏はダメでした。

日照時間と睡眠の関係

調べてみてわかったのが

「日照時間と睡眠の関係」。

季節によって変わる

「日照時間の長さ」は

体内時計を調整するホルモン

メラトニンの分泌に影響を与えます

って、ちゃんと科学的にも言われてるんです。

 

具体的には、冬は日が短いから

メラトニンが早めに分泌されて

止まるのは遅くなる。

その結果

「冬は自然と睡眠時間が長くなる」

という傾向があるそう。

 

逆に夏は、日照時間が長いから

体が「まだ寝なくていいよね?」

ってモードになりやすくて

結果、睡眠時間が短くなりがち。

人間にも「プチ冬眠本能」がある?

ちなみにこれ、動物界でもよくある話。

たとえば…

冬になると熊さんが冬眠するのも

この日照時間の影響が大きいらしい。

活動量も省エネモードになる。

 

私たち人間も

そこまで極端じゃないけど

動物として

「季節によって眠り方が変わるのは当たり前」

なんだそうです。

むしろ

「人間にもプチ冬眠本能がある」

って思うと

ちょっとおもしろいなあと思いました。

 

ちなみに私

普段は朝4時起き生活なので

1年中、暗いうちに起き出す毎日。

なので

「太陽の光」にはそんなに

左右されない?と思いがちですけど

それでも季節が変わると

睡眠の質もバッチリ変わる。

睡眠データを見るたび

「ほんとそうだなぁ…」って思います。

 

実際、こんな調査結果もあるそうです。

▶参考データ①

 「最も睡眠の質が悪化するのは7月」

特に7月は「深い睡眠の量」が年間で最も少なく

「入眠後の途中覚醒」も多いという結果に。

 

さらに詳しく知りたい方はこちら。

▶参考データ② 

「季節が睡眠に与える影響とは?知っておきたい最新の研究結果」

 

これ、まさに

私のスマートウォッチのデータともピッタリ一致。

「夏は眠れないのが当たり前」

っていうことが

ちゃんと数字でも証明されてるわけです。

もう、悪あがきはやめました。

35℃越えが何日も続いて

夜も気温が下がらない日本の夏なんて

人類史的にも、こんなに寝苦しい夏を

毎年経験してる世代って、私たちが初。

 

さらに、年齢による体力低下

ホルモンバランスの変化

加齢による眠りの浅さ…。

いまだかつてない

いろんなものが

50代の私に押し寄せているわけで。

「ぐっすり眠れる方がむしろ奇跡でしょ!」

 

だから私は

「眠れない日は、深く考えない!」

むしろ、眠れた日はラッキーくらいの気持ちで。

秋が来れば、また眠れるから。

今はもう、焦らない。

 

もし今

 「最近ほんと眠れない…」

 「これって私だけ…?」

って思っている方がいたら

ぜひ、いっしょに割り切っちゃいましょ。

 

「まあ、しょうがないよね。夏だし。私も50代だし(笑)」

 

無理せず、気楽に、ゆる〜くいきましょう。

 

それでは〜。

 

 

また「あの時」って言ってた!50代からの「言葉の向き」修正中

日本語ネイティブ歴、軽く50年超え

私、日本語ネイティブ歴、軽く50年超え。

ペラペラしゃべってるし

ちょこちょこ文章も書いてきたし

 まぁそれなりに

「日本語使いこなしてるでしょ?」

って思ってました。

 

でも先日

日本語の奥深さにグサッと心を動かされる本

に出会いました。

 

熊谷高幸さんの

『日本語は映像的である』

グサッときた「こそあど言葉」の世界

心に残ったのが

いわゆる「こそあど言葉」と呼ばれる

「これ・それ・あれ」に宿る

距離感と感情の向きの話。

 

特に

私の胸に刺さったのは

あの」という言葉。

 

気がつけば、私、ずーっと言ってました。

「あの時こうしていれば…」

「あの人が…」 「あの場所に…」

 

50代、ひとり暮らし。

振り返る時間が増えたせいもあるけど

「あの」の連発はちょっとヤバいな…と

 本を読みながら反省モードに突入しました。

「あの時」は、誰かと共有した過去の記憶

本の中で紹介されていた、あるエピソード。

著者である先生に

留学生さんがこう質問したそうです。

 

「先生はあの時どこに住んでいましたか?」

 

でもその「あの時」って

先生が大学生だった頃の話。

当然、その留学生さんはまだ生まれていない。

 

日本語の感覚だと

こういう時は「その時」が正解。

 

なぜなら「あの時」っていうのは

 話し手と聞き手が

一緒に経験した過去の時間にしか使わない言葉

だから。

 

これ読んで

「日本語ってすごく繊細…!」と、しみじみ。

 「あの時」にしがみついてた理由

そこで確信。

私が心の中で

何度も繰り返してた「あの時」って

結局は全部

夫との共有記憶

だったんだなって。

 

離婚を決めたあの時も

長野から撤退したあの時も

いろんな感情がごちゃまぜになってたけど

どれもこれも

「夫と一緒に経験した時間」

だった。

 

そして

気づけば私は

その時間にずーっと心を縛られていたんだなって。

言葉が心の向きを決めている…かもしれない

たぶん私たちって

 無意識のうちに

「どんな言葉を選ぶか」で

自分の心の向きを決めてるんだと思います。

  • あの時ああしていれば…
  • あの人がもっとこうしてたら…

こういう言葉を口にしてる時って

気持ちが完全に過去に引っ張られてる証拠。

未来に向かう「言葉選び」にシフトしてみる

もうひとつ

本の中に出てきたエピソードで

印象的だったのがこれ。

 

ある留学生さんが

数か月後のイベントについて先生に言ったひと言。

 

「あの日が楽しみですね」

 

いやいや、それ、日本語ネイティブの私なら

その日が楽しみですね!」って即答する場面。

 

未来の話に「あの」は使わない。

この違和感に、すごく納得。

 

そこから考えたんです。

例えば

  • 「これから、どこ行こう?」
  • 「その時、何しよう?」
  • 「この時を楽しもう!」

こういう言葉って

 自分の視線がちゃんと

「今」とか「未来」に向いてる感覚がある。

 

逆に…。

  • あれからずっと…」
  • あの時が原因で…」

こう言い始めた瞬間

空気が一気に

どんよりネガティブモードに突入する。

 

でも、「これからだ!」って言えば

なんか急にポジティブに聞こてくる。

それから?それから?どうする?」って言えば

 どんどん前に進んでいくイメージがわく。

言葉ひとつで、心の持ちようは変わる

過去が悪いわけじゃない。

むしろ、「あの時」があったから、今の私がいるわけで。

振り返れば、泣いたり怒ったり、笑ったり…

いろ〜んなドラマが詰まってる。

それはそれで、大事な「私だけの思い出」。

 

でも――。

人生は、これからの「この時」の積み重ね。

 

これから出会う人。

これから始まる時間。

その時に見える景色。

 

そして、これからの私。

 

「あの時」は、ちゃんと胸にしまっておく。

たま〜に取り出して

ちょっぴり泣き笑いしてもいい。

でも

基本はやっぱり

前向きモードの言葉で進行したい。

 

よし。次の「この時」へ。

一歩踏み出しちゃうもんね!

 

 

それでは〜。



映えとかどうでもいい!私が楽しかった、それだけで満点◎

ずっと行きたかった、あのお店へ!

ずっと前から

「行きたいな〜」って思ってたお店に

ついに行ってきました。

 

場所は千葉。

MOTOGPライダー

中野真矢さんのお店「56design」です。

 

バイクに興味がない人からしたら

「え?誰?」ってなるかもしれないけど

私にとっては、ちょっと特別な存在。

 

というのも

元夫がMOTOGP好きで

当時、よくテレビで

バレンティーノ・ロッシとか

中野くんの走りを一緒に観てたんです。

 

私自身、めちゃくちゃ詳しいわけじゃないけど

56」って聞けば

「ああ!あの中野くんね!

ってなるくらいには知ってる。

 

いつか行ってみたいな〜と思ってた場所。

今回はプチツーリングがてら、ようやく実現!

まさかのご本人登場で大パニック

お店について、バイクを停めていたら…

なんと、お店の前にご本人が!!!

 

え、え、え? 本人いるの!?

って、一気に挙動不審。

 

店内に入ってからも

さりげなく中野くんの近くをウロウロ…(笑)

 

でも、せっかく来たんだから!

と思い切って

「写真お願いしてもいいですか?」

と声をかけました。

 

中野くん、とっても気さくで優しくて

「もちろん、いいですよ!」

とニコニコ応じてくれて。

めちゃくちゃフレンドリー!!!

2ショット、撮ってもらっちゃいました。

笑顔がとっても自然で

さらに大好きになりました。

帰り道、ひとりで盛り上がる私

帰り道、バイクに乗りながら

ひとりでテンション爆上がり。

 

「すごーーい!」

「本物、会っちゃった!!」

「優しかったなー!!」

心の中でずーっとリピート再生。

何回も思い出しては、顔がほころぶ。

こういうのって、完全に自己満足。

 

母に話しても、妹に話しても、たぶん

「へぇ〜」「で、誰それ?」

で終了コース!

 

でも、それでいい。

誰かに「すごいね!」って

言われたいわけじゃないし

SNSで「いいね!」が欲しいわけでもない。

 

私が嬉しかった。

それがすべて。

SNS映えより、自分の「好き」を大事に

ふと、最近のSNSを思い返す。

例えば

センスのいい食器

色合いバッチリのサラダ

可愛いランチョンマット。

いや、ほんとに素敵だな〜とは思うんですよ。

見るのは好き。

 

それに比べると、私の食卓は…ははは。

でもね

たぶん私は

そのコーディネートにかける時間が

あるなら掃除したいし

本読みたいし、バイクに乗りたい。

そもそも私は

ランチョンマットより

ツーリングルートに

ワクワクするタイプなんだと思う。

映えスポットに振り回される自分も・・

最近は

SNS映えを意識しすぎた

観光地とかも増えてきて

なんとなく

「どう見えるか」「どう映るか」

ばかりが先に立ってる気がする。

 

自分も、知らないうちに

少しその世界に引っ張られていたかも。

 

でも、あの日。

あのとき中野くんと写真を撮って

帽子を買って

帰り道でずっと、嬉しくて仕方なかった気持ち。

あれが、全部。

 

「誰にどう思われるか」

じゃなくて、

「私がどれだけ嬉しかったか」。

そこが、いちばん大事だったんだなって。

改めて思いました。

 

ただただ

「好き」「楽しい」「嬉しい」。

それを感じられる時間が

私にとっていちばん大切。

 

もっと、自分の「好き」を大事にしていこう。

そんなふうに思えた一日でした。

 

それでは〜!

 

 

 

「はぁ?なんなのこの人!」と思ったとき、私の頭に浮かぶ一言

「なんだこの人!」って思った時に浮かぶ言葉

スーパーで。

SNSで。

かつては職場で。

 

もう日常のあちこちで

遭遇しますよね。こういう場面。

 

「はぁ?なんなのこの人……!」

 

イライラしたり、モヤモヤしたり。

もうほんと、感じ悪い!って思う瞬間。

 

でも。

そんなとき

ふっと浮かんでくる言葉があります。

 

それが

「みんな誰かの愛しい女」

 

こんなムカついてるタイミングで

なぜ「愛しい」なんて言葉が出てくるの?

…ってはじめは自分でも思いましたが。

実はこれ、林真理子さんの本のタイトル

この言葉は

作家・林真理子さんのエッセイ本のタイトル。

 

気になる方は本のリンク貼っておきますね。

▶️林真理子さん「みんな誰かの愛しい女」

 

もう何年も前に読んだ本ですが

タイトルだけがずーっと私の頭に残っていて

このフレーズが勝手に浮かんでくる。

 

でも、これって女に限った話じゃない。

男とか女というより

もっと広く、「愛しい人」。

 

恋人や配偶者

親、子ども、友人。

 

この「ちょっと苦手なあの人」も

誰かにとっては大事な存在なのかもって。

苦手な人にも、愛してくれる誰かがいる

正直、仕事してた頃は

毎日が小さなイライラの連続。

 

「どうして、そういう言い方するかなーー!」

って思うこと、しょっちゅうでした。

 

でも、この言葉が頭に浮かぶと

ちょっと冷静になれるんですよね。

 

ムカつく上司だって

家では母親にとっての可愛い息子かもしれない。

噂好きでいじわるな隣の係の女性も

子どもから

ママ大好き!」って言われてるかもしれない。

 

そんなことを考えはじめると

なんだか、怒りの温度がスーッと下がっていく。

「この人にも背景があるんだろうな」

と思うことで

接し方が少し変わるんですよね。

 

もちろん

理不尽なことされたら

ちゃんと怒ります、私!

 

でも

こんな人(失礼!)も誰かにとっては特別なんだ

って思えると

自分の中のトゲが

少し丸くなる気がしています。

自分自身に向き合う

じゃあ、今の私はどうなんだろう?

って、考えてみたんです。

 

家族との関係は……

まぁ、バツイチなのでちょっと複雑だけど。

母や妹にとっての私は

たぶん「愛しい存在」だと思う。(たぶん、ね。笑)

 

でも、年齢を重ねるにつれて

そういう存在がどんどん減っていくのも事実です。

 

親はいずれいなくなって

私のように子どもがいない人間にとっては

「私を愛しいと思ってくれる人」

自体がもともと少ないのに

さらにどんどん減っていく。

 

いつかは、誰もいなくなってしまうかもしれない。

 

そんな不安が

ふと胸にこみ上げてくることも

たまにあります。

それでも私を支えてくれるもの

でも、だからこそ。

愛しいとまではいかなくても

 

「Ritaさん、どうしてるかな?」とか

「あなたがいてくれると、ちょっと楽しい」

って思ってくれる人が、

1人でもいてくれたら

うれしいなって思います。

 

バイク仲間でも

ご近所さんでも

ちょっとした友人でも。

 

そんな、ゆるいつながりの中で

私を思い出してくれる誰かがいること。

それが

この先、生きていく上での

小さな支えになる気がしています。

 

 

そして、もうひとつ。

今はもうこの世にはいないけど

きっと空の向こうで

私のことを

「愛しい」

と思ってくれている父の存在。

 

子どもの頃は

怖くて大嫌いだった父だけど

今は

「愛情表現ができなかった人だったんだなあ」

と思える。

 

もう会えないけど

その記憶が、これから先もずっと

私の心の中で生きてくれる。

最後に。

なんだか、しんみりしちゃったなあ。

 

まぁでも

人生こんなもんですよね。

年齢を重ねれば重ねるほど

「私を愛しいと思ってくれる人リスト」

は確実に減っていく。

 

これはもう、どうしようもない事実。

でもたぶん

「今この瞬間、私のことを思い出してくれる人がいる」

とか

「かつて私のことを、めちゃくちゃ愛しいって思ってくれた人がいた」

 

そのどっちも、とってもありがたい。

 

もはや人数じゃない。

心の奥底での

関係の深さや密度が大事。

あと勝手に記憶を補正しちゃうとか!

 

そういうのも全部ひっくるめて

これからも

私は私のペースで

ゆったり暮らそうと思います。



それでは〜!

 

 

ないもんねだりしてるほど、ヒマじゃねえ。──モヤモヤの正体が見えた日

ないもんねだりしてるほど、ヒマじゃねえ。

メンタルが沈んでいた時期

少しずつ元気を取り戻す

きっかけになった言葉たちがあります。

 

今日は、そのうちのひとつをシェア。

 

ないもんねだりしてるほど、ヒマじゃねえ。

あるもんで最強の戦い方、探ってくんだよ。一生な!

 

漫画のキャラのセリフなんですけど

この言葉を見たとき、思わずメモ!

 

最近ノートを見返したときに

また目が止まった。

 

今の私に

また違った意味で

引っかかったからだと思う。

モヤモヤの正体に気づく

ここのところ

ずっとふわっとしたモヤモヤがある。

「本当にこのままでいいのかな?」

「何かを望んでいる」ような気もするけど

それがはっきりしない。

 

でも、さっきの言葉を見返して

おっ!と思った。

 

もしかして私

無いものばかりに目がいって

もう自分を諦めかけているのかも。

 

自分にどんな戦い方があるのかを探ることを

どこかで放棄していて

モヤモヤしてるんじゃない?

夢だった「田舎暮らし」は、過去のもの?

たとえば

かつて私は田舎で暮らすのが夢だった。

 

田舎育ちなので

いつか地元のような田舎に戻りたい。

自然に囲まれて

静かな場所で暮らしたいと思ってた。

 

そして一度は

それを実現して、長野に移住した。

 

でも、夫の浮気という想定外の出来事で

その生活はわずか数ヶ月で終わっちゃった。

 

今でもたまに思う。

「もう一度、ひとりで田舎に戻ることもできるんじゃないか?」って。

 

でも、あの失敗が頭をよぎる。
 

あの時は

「二人で」だったから

やれていたことも多かった。

今は私ひとりだ。

条件も、年齢も、状況も、全部違う。

 

反面

今の私は

田舎ぐらしを求めているのかな?

 

私は

どこで

どうやって生きていけばいいのかな?

ひとりでずっと生きていってもいいの?

その答えがまだ見えない。

だから、ずっとモヤモヤしてたんだ。

私と「戦い」の関係

そういえば

昔から私は

「戦う」ってことが、案外好きだったなと思う。

 

剣道に、少林寺拳法

中学生の頃は竹刀を握って

気合い入れてバシバシ稽古してた。

 

高校生の時は

少林寺拳法の道場に通っていたり

空手部にちょっと憧れの人がいて(笑)

試合を見に行ったりもしたなぁ。

きゃ、懐かしい〜!

 

でも、別に誰かを倒したかったわけじゃない。

私にとっての「戦い」は

もっと内向きなものだった。

「精進」とか「自己研鑽」って言葉が好き。

 

自分の中で起きる小さな変化を

ちゃんと感じ取れることが嬉しかった。


たぶん私は

「自分との戦い方」を探していくのが、昔から好きだったんだと思う。

今ある「手持ちのカード」で

最強の戦い方って

完璧になることでも、誰かに勝つことでもない。

 

退職したとき。

夫がそばにいたとき。

あの頃とは違う今の私。

 

手にしている「カード」も、ずいぶん変わった。

でも

今の自分にあるもので___

最強の戦い方を探っていくしかない。

 

探る旅は続く

いろんなものを失ったあと

まだ見えない未来のために

私はまた

自分の戦い方を探したいんだ、きっと。

 

こつこつ回復中の私だけど

1年前より

ちょっとだけ元気になってる。

外からは見えないけれど

ちゃんと、自分の中では復活中!

 

そう!今なら、こう言える。

落ち込んでるヒマなんてない。

だって私、54歳。

遅くはないけど

時間がたんまりあるわけじゃないんだ。

私の「最強の戦い方」を探す旅は

立ち止まってる場合じゃないぞ!

 

今日の私は、ちょっと強気。

でもこれもまた、間違いなく「私」だからね。

おまけ:コツコツ回復の言葉たち

私はふだんから

読書や日常の中で

ふと心に残った言葉を

ノートにこっそり書きとめています。

 

とくに離婚後

気持ちがガクンと落ちて

通院していた頃なんかは

そういう言葉に何度も助けられました。

 

そんな言葉たちの中から

今の私が改めて感じたことを書いてみました。

 

ちなみに以前にも「戦う系」の記事を書いてます▼

vibrantactions.com

 

自分のために書いてるけど

同じように立ち止まっている誰かに届いたら

なお嬉しい。

 

 

それでは〜!

 

 

FIREしても、幸せじゃなかった。そこから始まった本当の人生【自己紹介】

実はこのブログ

以前から書いていたんですが

ちゃんとした自己紹介を

書いたことがなかったんです。

 

気づけばいろんなことがあって

人生まるっと変わっていました。

 

というわけで

今、あらためて

「今の私」を少しだけお話させてください。

50歳でFIRE達成。夫婦で長野に移住

2021年3月末。

私は公務員、夫は会社員を早期退職。

その年のうちに自宅も売却し

夫とふたりで長野県へ移住。

夢だったFIRE生活がスタートしました。

 

……でも。

そのわずか数ヶ月後。

 

自由になっても

満たされるとは限らない。

本当の意味での

幸せや生きる意味を探すのは

そこからだったんですよね。

 

そう。

まさかの夫の裏切り。

「私も知る女性」と、2泊3日のラブラブ旅行へ。

なかなかの破壊力でした。

 

私の移住生活は、木っ端微塵に砕け散り

また都会へ逆戻り。

 

そして2022年2月。

私は夫と離婚しました。

 

付き合い始めてから約30年。

結婚生活だけでも25年。

その終わりは

想像もしなかったカタチで

やってきちゃいました。

正直、もう生きる意味なんて分からなかった

離婚直後は、完全にメンタルが落ちました。

病院にも通ったし

「もう空の向こうの父のところに行きたい」

と本気で思ったことも、何度もあります。

 

信じてた人に裏切られるって

想像以上にしんどいです。

こんなにつらいことは、人生で初めてでした。

 

「Ritaを幸せにしたい」

と言っていた人が

私を奈落の底に突き落とした。

 

怒りとか悲しみとか

そんな一言じゃ足りなくて。

私の場合

「自分の心を殺された」

みたいな感覚でした。

それでも、少しずつ光が見えてきた

そんな時、救ってくれたのは

逆境から立ち上がった人たちの本や言葉。

そして

同じように苦しんでいる方々のブログでした。

 

でも、ある時読んだブログに

「もう私は笑うこともできない。、忘れることができない。一生このままだと思う」

そんなような言葉がありました。

 

その瞬間

私は完全に呑み込まれました。

 

「私もこの人と同じになる」

って思って

本当に目の前が真っ暗になったんです。

 

でも、今は少しだけ違う。

私はそれを抜けてきました。

ほんの小さな光だけど

「抜け道はある」

って思えるようになったんです。 

同じ思いをした人にしか、分からないこと

カウンセリングや病院で

話を聞いてもらっていた頃

 「こんな気持ち、あなたには分からないでしょ」

って、正直ずっと思ってました。

 

ひがみかもしれないけど

心の中では何度もそうつぶやいていました。

 

もちろん、私もわかってるんです。

私は女だから、男の気持ちは分からない。

子育てをしたことがないから

母親としての苦しみも本当の意味では分からない。

人の人生は、それぞれ違う。

どんなに想像しても

完全に分かることなんてきっとない。

 

だけど

それでも私が思うのは

「浮気された女の気持ち」というのは

もっと奥の、もっと深い

自分の中の深い闇の中にあって

言葉にしきれない場所にあるものだということ。

裏切られたとか、嘘をつかれたとか

そういう次元じゃなくて

自分という存在が消されるような痛み。

それはやっぱり、経験していないと

届かない場所に

あるんじゃないかって思ってしまう。

 

きっとそれくらい

女として

妻として

信じていた人に裏切られることは、

人生の根っこを揺さぶる

想像を超える痛みなんです。

だからこそ、私は書いています

だからこそ、このブログは

わかるよ!その気持ち!って

傷ついた私が自分を癒しながら

どこかで誰かの心にそっと寄り添えたら

と思って書いています。

 

かつての私のように

「真っ暗な中にいる誰か」に

小さな光を届けられたらいいなと。

 

そして

FIREしても

全然幸せじゃなかった私が

「生きる意味」を考え始めたことを

綴っていけたら、と思います。

最後にひとこと

人生って、ホントにいろいろありますよね!

 

でも。

どんなにボロボロになっても

「きっと未来にはいいこともあるさ!」

って、今の私は思えるようになりました。

 

笑えなかった私が

今はこうしてブログを書いています。

 

この言葉が、誰かの心の片隅に

そっと残ってくれたらうれしいです。

 

それでは〜。

 

 

 

50代ひとり暮らし。困らないけど、「いてくれたら嬉しい人」が欲しくなる日もある

昨日のプチ事件

昨日、スーパーで

お気に入りのデニッシュパンが10%割引。

 

おー!やったね、うれしい〜と

内心ウキウキしながら帰ってきたけど

誰にも言う相手がいない(笑)

 

いや、こんなことね

LINEで「パン安かったよ〜」

って送るほどでもないし

日記に書くようなことでもない。

 

でも、できれば誰かに

「今日ね、こんなことがあったんだ〜」って

ポツリと話せたらよかったのにな

って思ったんです。

オチのない話って、地味にすごい

人って

会話にオチとか結論とか求めがち。

友達に話す時でも

「こうでこうで、でも結局こうだったの!

みたいな展開になることが多い。

 

でも本当は

「お散歩で猫ちゃんを見た」

「なんか最近スーパー混んでる〜」

そんな、オチのない話をただ聞いてくれる人。

そういう存在って、地味だけど貴重。

そんな誰がいることで

自分の存在も浮かび上がってくる。

そんな気がしちゃうんですよね。

夫がいなくても困らないって言ってた私

昔、結婚してた頃。

私は当時の夫によく言ってました。

 

明日あなたがいなくなっても

私、ひとっつも困らないから。

 

強がってたというより、ほんとにそう思ってた。

 

洗濯も料理も自分でできるし

家の中で何がどこにあるか、私が把握してたし

ひとりで暮らしていけるくらいは稼いでた。

 

困る理由が、見当たらなかったから。

 

でも今なら

ちょっと違う視点で言えるかもしれない。

困るか困らないかの話じゃなかったんだ、って。

 

誰かと一緒にいるって

役に立つかどうかじゃなくて

ただ「存在し合う」っていう感覚

だったのかもな、と思う。

添い遂げるだけが答えじゃない

離婚して3年。

きっかけは夫の浮気だったけど

それまでは仲が悪かったわけじゃなくて

そこそこ穏やかで、ごく普通の夫婦だったと思う。

 

夫は優しかったし

いつも私を褒めてくれた。

それでも、破綻することはある。

人生は本当に、分からないものですね。

 

今となっては

仕方なかったんだと思うし

それもまた一つの

人生の流れだったのかなと感じています。

 

昔は「結婚=一度きり」が当たり前だったけど

今は人生100年時代。

人も変わるし、私も変わる。

だったら、その時々で

自分に心地よい関係を選んでもいいんじゃないか

最近はそう思うようになりました。

 

結婚とか「籍を入れる」というカタチよりも

今の自分に合う誰かと

誠実に・自由に

そしてごきげんに

一緒に過ごしていくことそのものに

価値があると思うのです。

昨日のパンは…

まあ、昨日は

割引パンをひとりで全部食べましたけどね〜。

 

それでも、ちゃんと美味しかったし、

満足感いっぱいでした。

 

でも。

もし、あの大好きなパンを目の前にして

私のほかに誰かがいたとしたら。

 

何かをしてもらいたいわけじゃない。

切り分けてほしいわけでも

オーブントースターで

焼いてほしいわけでもない。

 

ただ

なにげない嬉しさを一緒に味わえること。

「心の豊かさ」を分け合えたらいいな

そう思うんです。

それでは〜

ま、また食べ物の話かい!

と、そろそろ自分に言ってしまいましたが。

 

でも

小さな「美味しい」を誰かと分け合えること。

 

今の私は

それを贅沢だと思えるようになりました。

 

それでは〜。

 

 

 

辛い記憶がよみがえっても、私は私を止められる。〜心の回復の一歩〜

昔のつらい画面がフラッシュバック

ふいに

昔のつらくてイヤな場面が

映像みたいにブワーーっと

頭に浮かんでくることがある。

その時の景色や

セリフがよみがえっちゃって。

 

そんな時

私の頭にパッと浮かぶ言葉があります。

「すべては映像」が突き刺さった!

それは、キャメレオン竹田さんの

人生を自由自在に楽しむ本 (だいわ文庫)

に出てくるこのフレーズ。

 

すべては映像。

 

私が見る世界は

私が創った映像なんだよ、と。

 

 

この本では

人って

過去のショックな出来事や辛い体験を

まるで映画のように

頭の中で繰り返し再生している

って書かれていました。

 

しかもそれを

「アンコール!アンコール!」って

 自分でアンコールしてるんですって(笑)

 

さらに

例えがすごく秀逸。

 

本来は

通り過ぎるはずの「電車」=辛い記憶を

「みんな見て見て!」って必死で止めて

わざわざ自分に

見せびらかしてるようなものだって。

 

「この電車、見て!ほら!つらいでしょ?」って。

私自身が両手で

「うっうぅ!」って

全力で電車を止めている

映像が目に浮かんじゃいました。

 

 

私の場合

映像というと・・

ビデオテープの感覚が浮かんできたんです。

古い〜!

あの黒くて分厚いやつ。

 

録画してしまっておいたのに

わざわざ取り出して

デッキに入れて再生して。

悲しい場面ばっかり流してるようなもんじゃない?

 

しかも巻き戻したり

一時停止してじっくり観てる、しつこさ。

「そう!ここ!」って言いながら。

もはや自虐エンタメです。

私の再生映像は、長野の引越しの日

ちなみに私が

よく再生してしまう映像ワンシーンのひとつは

 

離婚して長野のマンションを引き払った日

 

すべての荷物が運び出された

がらんとした一室で

引き渡しのために

管理人さんを待っていた時のあの空気感。

 

カーテンも何もなくなって

冷たいフローリングの上に

ひとりポツンと座ってた。

あの景色、音のない静けさ

胸の奥から湧いてくる寂しさや悔しさ。

あの切り取ったような映像が

浮かぶだけで

当時の感情がドワッと込み上げてくるんです。

 

その時のことを、当時ブログにも書いてました。

長野にサヨナラした日の記録はこちら

vibrantactions.com

「おっと、また始まったな」と気づけるだけでラクになる

でも最近は

その再生スイッチが入ったときに

 「おっと、また始まったな!」

って気づけるようになってきた。

 

気づけたら、ちょっと楽になる。

あ、私は今

あの辛いビデオを再生してるぞ!

って。

 

頭の中のビデオデッキ

止めることだって

できるんですよね。

再生しない自由

ありますよ、ちゃんと自分に。

 

もちろん

ふとした瞬間に思い出すことはある。

完全に忘れることなんて無理。

でもそのたびに

「うわ、また再生してるわ、私!」って

ちょっと客観視できたら

それだけで少しラクになる気がします。

 

だって私たちの中には

もう観なくていいビデオ

けっこうあるから。

辛い記憶の「ビデオ」そろそろ停止!

辛い記憶の再生ボタン

押してるのは自分かも!


でも

それに気づけたら

もう止めることも

巻き戻さないことも、きっとできる!

 

 

この本を読んだのは

離婚後にメンタルダウンした時期。

今も

完全に回復したわけじゃないけれど

こうやって「自分をいじめてるクセ」

に気づけたことは

私にとって小さな

でも

確かな回復の一歩!

 

私が少しずつ

元気を取り戻していく中で出会った

心の支えになるような言葉や

本との出会い

自分のためにも記録しながら

同じように

しんどい誰かの

手助けになればいいなと思って

書いていま〜す。

 

それでは〜。

 

 

 

「お姉ちゃん」って、やっぱり大変。でも、まあ悪くないかもって思えた日。

お買い物帰りに見た、母の姿

昨日の午後

ちょっとお買い物へ出かけた帰り道。


母と妹が住んでいる

マンションの近くを通りました。

徒歩3分の距離。

だけど、なぜかこう.....

心の距離は

ちょっと遠く感じるときがあるんですよね。

 

木の陰から見上げると

母がベランダで洗濯物を取り込んでいました。

小さな体で

一生懸命背伸びをして、洗濯物と格闘中。


「お母さ〜ん!」って声かけたら

たぶんニッコリ振り返ってくれたと思うけど

私はなぜか声をかけられなかった。

ただ、静かに、見上げいてました。

「一緒に住もうよ」って言ってほしかった

離婚が現実になりそうだった頃のこと。

妹に、軽~く探りを入れたことがあるんです。

 

「もしさ、私ひとりになったら、お母さんと3人で暮らすのってアリかな〜?」って。

 

返ってきたのは

ちょっと苦笑い交じりの一言。

 

「え〜、でも、お姉ちゃんと住んだら、なんでも頼っちゃうしな〜」

 

うん、それはそれで分かる。

でもどこかで

「一緒に住みたいね〜」

って言ってほしかった私もいたりして。

 

このあたりの気持ちは、前にも記事に書いてます。

▶️ [離婚しても、家族と暮らさなかった私。やっぱり、これでよかったと思う]

 

しっかり姉、やめられません

うちは父がめちゃくちゃ怖かったから

私が気づけば

「女部族の司令塔」みたいなポジション。

 

常に

「で、お姉ちゃん的にはどう思います?」

 みたいな視線が飛んでくる。

 

母も怖い父も

妹をとても可愛がっていて

彼女は甘えん坊モード。

私は「しっかり者のお姉ちゃん」

として扱われることが多く

自然と、まわりを見て動くクセがついていて

「どうしたらうまくいくかな?」

って改善モードがデフォルト。  

 

それが悪いとは思わないけれど

たまには「Ritaのままでいいよ〜」って

言ってもらいたかったな。

あの4人暮らし、思い出すと辛い

父が亡くなったあとの数年間

母・妹・私そして当時の夫と

4人で暮らしたことがありました。

 

いろんなことがあったけれど

正直言って

かなりしんどかった記憶です。

 

「しっかり者の私」が

みんなを幸せにできなった

今でも引きずる罪悪感

 

結局その生活は破綻し

母と妹はふたりで暮らすようになりました。

 

だから今でも思う。

無理にいっしょに暮らすことが、正解じゃない。

私と住んだら

また母も妹も息切れしてしまう。

そして

前夫も辛かったんだろうと、今は思う。

「母と妹はペア」って思っちゃうとき

大人になった今でも

母と妹が自然に寄り添ってるのを見ると

どこかで「ひとりぼっち」だと思ってしまう。

 

別に壁を感じるとかじゃないんです。

むしろ、私が一歩引いちゃうクセがある。

 

でも、ずっと思ってたのかもしれない。

 「母と妹はペア。私はその外側」って。

頼ってくれる人がいるってうれしい

なんでもかんでも「お姉ちゃんお願い〜」

って、正直キツイこともある。

 

母と妹の見えないつながりに

切なくなることもある。

 

でも

私はずっと

母と妹の「守り神」みたいにしてきた。

 

だから外側から

全体を見守るポジションが

自分にはしっくりくるのかも

と思えてきたんです。

 

頼られるのが当たり前で

ふと寂しさを感じる瞬間もあるけれど

それでも

誰かに必要とされる場所に

自分がいるっていうのは

やっぱり嬉しいことなんですよね。

それが私の幸せなんだと思う

いつのまにか

求められる「司令塔」としての立ち位置にいた。

しっかりしてる「ふり」じゃなくて

気づいたらそうなってただけ。

たぶん、そういう性分なんだと思う。

 

人のために動くのは

私のクセであり、強みであり

たぶん、好きなんだね、きっと。

 

頼られることに

ちょっとずつ誇りを持って

これからも

「しっかり者のお姉ちゃん」

として、自分らしく。

 

時には気疲れする日もあるけど

それでも私は

私にちゃんと「大丈夫だよ」って言ってあげたい。

 

それでは〜。

 

50代の自由最高!だった私が、「誰かと食べるパン」に憧れた瞬間

ツーリング先で見かけた、手をつなぐふたり

つい先日のツーリング先。

観光スポットで

たぶん私と同世代くらいのご夫婦かな?

手をつなぎながら、遠くの景色を見ながら

歩いていました。

 

ベタベタしてるわけでもなく

ほんとに自然な感じで。

 

「いいなぁ」って、つい口からポロリ。

 

ふたりでいっしょに

生きてる感じが、にじんでて。

なんだか、目が離せなかった。

パン屋さんでの自然なやりとりにグラッときた

その数日後に行った

パン屋さんでの出来事。

 

どれにしようかな〜って

焼き立てパンを前に悩みまくっていたら

後ろから入ってきたカップルが

こんなやりとりをしてて。

 

「◯◯の好きなカレーパンあるよー!」

 「これ△△が絶対好きなやつだって〜!」

 

お互いの好みをわかってて

ちゃんと気にかけてて。

その様子がなんともあったかくて。

 

と、その横で私はひとり。


「私は……今日はこの5個に決定!」と

自分だけのために決断。

 

いや、自由だし、快適だし。

好きなパンだけ選べる幸せ、なんだけど。

そのときだけ

なんだかちょっぴり切なくなりました。

自由って最高…だったはずなのに?

最近

「誰かと何かをわかち合う」

ってことに

どうしようもなく惹かれる瞬間が増えてます。

 

「ひとりで全然平気!」って思ってたし

今もそう思ってる。

 

でも、美味しいね、とか、きれいだね

っていう目に見えない楽しさや嬉しさを

誰かと共有するって

なんかやっぱり、いいな…って思ってしまう。

「まだまだじゃのう」と自分に呪文?

もちろん

私はもう「ひとりで生きてく」って決めてる。

自由に生きるって、腹をくくってきた。

 

好きなものを好きなタイミングで食べて

誰にも気をつかわず

自分ペースで暮らす毎日。

最高じゃん!って思ってたのに、

まさか

カレーパンのことで動揺するとは!!

 

「まだまだじゃのう、おぬし…」

 

なぜか、読んでた本の影響で

急に武士モードが発動。

思わず自分に

ついツッコミ入れたんだけど

でも、ちょっと待って。

「まだまだ」って、ほんとにそう?

「こうあるべき」より、「今どう感じてるか」

たとえば

「人の悪口は言わない!」

って決めたのに

うっかり言っちゃった…のなら

「まだまだだな〜」

って言いたくなるのもわかる。

 

でも

「誰かといたいな」って思った気持ちに

「まだまだじゃのう」ってツッコむのって

なんか違くない?

 

やっちゃいけないことでも

間違いでもないよね。


それってただの、「私の今の気持ち」

 

ひとりで生きていくって覚悟を決めたことと

誰かと景色を見たり

おいしいものを

いっしょに食べたいなって思う気持ちは

ぜんぜん矛盾なんかしてない。

 

「こうあるべき」

っていう理想像よりも

今どう感じているか

その瞬間の気持ち

のほうが

よっぽど大事なときだってある。

 

今、そう感じた。

ただそれだけで、じゅうぶん。

手をつなぎたいって思っても、いいよね

正直

「手をつなぎたいなあ」とか

「誰かと一緒にいられたら嬉しいかもな」

なんて書くのはちょっと照れくさい(笑)

 

でも

思っちゃったものは、しょうがない!

 

それは芯がブレたわけじゃない。

むしろ

ちゃんと自分の気持ちに気づけてるってこと。

 

変わる心も、揺れる気持ちも

まるごと自分。

 

やっぱり

この歳になっても

おとめ心ってやつ?!ぷっ!

 

でも

今の自分の正直な声に

まずは自分が「それでいいよ」って言ってあげよう。

明日はパン独り占め上等!

今はちょっぴり切なくても

ま、明日には

「やっぱりパンは独り占めが最強だな〜!」

ってご満悦かもしれないし。

 

それもまた、よし。

 

それでは〜!

 

 

「やばいから始めた」はだいたい続かない。やっぱり納得感って大事

 

上等じゃねえか!昭和の不良言葉に反応

昨日ウォーキングをしていたら

前を歩く男性のTシャツに

こんな言葉が書いてありました。

 

沈没上等

You shall burn out to run.

(英語は得意じゃないので、うろ覚えです)

 

たぶんランニングチームの

ユニフォームかな?

と思いつつ

つい目に留まったのが

上等」という言葉。

 

昭和世代にとって「上等」といえば

やっぱりこれ。

「上等じゃねぇか!」

 

中学生のころ

男子達が「タイマン上等!」

なんて言いながら

先生、いや、センコー?

に怒鳴られていたのを思い出して

懐かしくなりつつも

思わずふふっと笑ってしまいました。

最近よく見る「脅し文句」

連鎖的に思い出したのが

最近SNSやネット広告でよく見かける

ちょっと脅しに近い煽りの文面たち。

 

「その不調、放っておくと大変なことに!」

「今やらないと、見た目年齢が10歳上に…」

「やってないの、あなただけです」

 

うん、やっぱり脅してくるなぁ〜。

 

あれって

マーケティング用語で言うところの

「恐怖訴求」らしい。

 

たとえば

「9割の人が知らずにやってる老ける習慣とは?」

な〜んて言われると

「えっ、わたしもやってる?やば…」

って反応しちゃいそうになる。

 

これ

「損失回避バイアス」

という心理現象だそうで

人は「得をする」より「損を避けたい」

と思う気持ちのほうが強い。

 

つまり、「得られる未来」

よりも「失う未来」のほうが

人を動かしやすい。

 

どんな手法にせよ

人のビビリスイッチを押す

のが言葉の力なんだなあ。

不安で動いたことって、案外続かない

でも

こういう

焦らされて始めたこと」って

実際には続かないことが多い気がする。

 

「やばいかも!目まわりの小じわ対策!!」

と始めた目元美容液も

いつの間にか塗るのを忘れてフェードアウト…。

 

あとで振り返ると

「本当に自分に必要なことだったのかな?」

って、疑問が湧いてきたりして。

 

外からの不安や煽りで選んだものって

どこか自分の中に納得感がない

煽られて?入った行列の店の後悔確率

これ

食べ物でもよくありがちかなと思います。

 

たまたま通りがかって

行列ができているお店を見ると

「お?なんか人気そう!」

気になっちゃって入ってみたくなる。

 

でも、入ってみたら

ふん、大ハズレ。

「はい〜、あの行列に煽られた私がアホでした〜」

って、なんかちょっと悔しい〜。

 

でも

「絶対おいしいパンが食べたい!」

と思って

自分で調べて

わざわざ遠出して行ったお店が

イマイチだったときは

「まぁ、次回の教訓にしましょ」

「でも、自分でちゃんと選んだしね」

って、なんだか妙に納得できたりする。

 

この自分で選んだって感覚

やっぱりすごく大事だなって思います。

自分で選んだことは、自然と続く

私が日々続けている

ウォーキングもそう。

 

なんとか元気で

自分の脚でいくつになっても歩ける体でいたい!


そう思って

いろいろ調べてたどり着いたのが

愛読書

脳を鍛えるには運動しかない

これがもう、私のバイブル。

 

「脳と体、両方の健康にいい!」と

自分で納得してインストールできたからこそ

特にがんばってる意識もないのに

隙間時間にてくてく歩くのが

日常になっています。

 

これがもし

「これをやらないと、老けますよ!」

なんて言われて慌てて始めていたら……

たぶん三日坊主だったね、絶対。

自分の軸で納得して選ぶ

情報もアドバイス

今の世の中にはあふれかえってるけど

その中から

「自分にとっての正解」

を選ぶって

実は一番難しくて

一番大事なことなのかも。

 

焦らず、流されず。

外の声より

自分の内側の声に

ちゃんと耳を澄ませる。

 

自分の軸で選ぶ。

そんな選択ができたら

脅されるよりもずっと

ラクに生きられる気がする。

 

 

「コレやらないと、老けますよ!」

って言われたら、

「ええ、まあ何もしなくても老けますけど、何か?」

って返せるくらいの余裕

持っていたいです〜。

 

それでは〜。

 

人生なんて素晴らしくない。そう思ってた私が見つけた「挑む力」

あの言葉に、心が引っかかった日

「人生は素晴らしい。戦う価値がある」

── アーネスト・ヘミングウェイ

 

この言葉に出会ったのは

夫の浮気で離婚し

メンタルが底まで落ちていた時期。


なんとなく読んでいた本だったのかな。

ふと目に入って

なぜか心に引っかかった。

 

人生は素晴らしい?

 

……はあ?

今の私はボロボロですよ。

泣いて、崩れて、何も信じられなくて。

そんな私の人生のどこに

素晴らしさがあるわけ?って。

思わず毒づいてしまった。

 

 

でも

「戦う価値がある」人生って、なんだろう?

じゃあ

「戦う価値がない」人生もあるってこと?

私の人生は、価値がないってこと?

 

 

笑うことさえできなかったあの頃。

「戦う」なんて言葉とは

完全に縁遠い状態だったのに。

なぜか、その逆説的な強さから

目が離せなかった。

「挑む」という言葉が、少し前に進めてくれた

特に「戦う価値がある」っていうフレーズ。

気になって、原文を調べてみたんです。

 

The world is a fine place and worth fighting for.

 

直訳すれば

「この世界は素晴らしく、戦う価値がある」

 

でも、私には

「戦う」より「挑む」

って言葉のほうが、しっくりきた。

 

なんかこう、前向きなんだけど、無理してない。

「勝たなきゃ!」じゃなくて、

「ま、ちょっくら、とにかくやってみよう」

っていう、そんな優しい強さ。

 

私にとっての

fighting

は、誰かと争うことじゃない。

ただ、自分の人生に

もう一度ちゃんと向き合ってみよう

っていうニュアンス。

もう終わりだと思ってた。

当時、いつも頭に浮かんでいた言葉がある。

 

こんな思いをするために

私はあの人と出会ったの?

 

30年近く一緒にいた人との

裏切りからの別れ。


長い道のり、そのすべてが

この結末のためだったの?


そう思えてしまうくらい

人生が無意味に感じていた。

たぶん私は

自分の人生をまるごと否定しちゃってた。

「もう挑む価値なんてない」って。

 

 

でも

「ほんとに? それでいいの?」

「私、けっこうがんばってきたよね?」

「こんなとこで終わっていいの?」

 

うん、そうだよね。

泣きながらも

ボロボロになりながらも

私はちゃんとがんばってきた。

ちゃんと生きてた。

 

だから、これからのために。

まだ終わっていない自分のために。

挑んでも、いいんじゃないのーー?

私が私に挑む

「挑む」って、別に勝つことじゃない。

誰かに証明することでもない。

 

あきらめそうになる日

「私の人生なんてこんなもんさっ!」

って投げ出したくなる気持ちに

そっと立ち向かうこと。

 

自分を、自分で見捨てないこと。

 

それが、私にとっての

「挑む」ってことなのかなと思う。

 

人生なんて

素晴らしく感じられない日も多い。

むしろ、そっちのほうが多い!くらい。

 

でも、そんな毎日に

ちょっとずつ「挑んでいく」ことはできる。

弱気な自分に挑む。

やりたくないことをやる日も

十分に挑んでいる。

 

私はたぶん、あの頃から

いや、小さい頃からずっと

こっそり自分と向き合い続けてきた。

 

静かに、淡々と。

人には見えないところで

何度も挑んできた。

 

だから、そんな自分を

これからもちゃんと大切にしてあげなきゃ。

これは、今日の私へのメッセージ

今も、ときどき沈む。


ネガティブループにはまることもあるし

涙が出る日も、まだある。

 

でも今日は、この言葉を思い出した。

だから書いておこうと思う。

 

これは、今日の私へのメッセージ。

また心が折れそうになったら

ここに戻ってこよっと。

 

 

それでは〜。

 

 

「なんか好き」をうまく伝えたい。言葉にする力を育てるヒント

 

なんか好きという感覚

 

うまく言えないけど、「なんか好き」

 

そんな気持ち

ふわっとした感覚

私はよくあります。

 

もし

誰かに「どこがいいの?」

って聞かれると、ちょっと詰まるかも。

でも

自分の中では確かな「好き」の感覚がある。

 

そんな時こそ

「言葉にしてみる」

ってすごく大事なんだなと

改めて感じた本がありました。

 

山口拓朗さんの

「うまく言葉にできない」がなくなる言語化大全

 

「たとえば?」は魔法のキーワード!

頭の中を具体化する方法がぎゅっと詰まった一冊。

 

特に

「具体力化」を鍛えるための型

というパートがとてもわかりやすくて

実践的だと感じました。

 

その中の一つがこの流れ

 

ざっくり一言 → なぜ? → たとえば?

せっかくなので

この本について、この型で書いてみますね。

 

▷ざっくり一言

この本の言語化メソッド、試してみたくなった!

▷なぜ?

意見や感想を「伝わる言葉」にするためのコツが

めちゃくちゃ具体的に書かれてたから。

▷たとえば?

「たとえば?」って

ただ具体例を出す言葉じゃなかった。

 

このひとことがあるだけで

自分の感じたことが

いろんな角度から

浮かび上がってくる。

まさに魔法のキーワード。

 

そして

「まだうまく言葉が出てこない」

って人のために

“思考のものさし”

として、いくつかリストがあり

TOP5として

こんな視点が紹介されてました。

  • メリット・デメリットは?

  • ビフォー・アフターは?

  • 類似点・相違点は?

  • 誰におすすめ?

  • どうやって?どんなふうに?

 

これらの切り口を使うと

自分のモヤッとした感覚が整理されて

相手にも伝わりやすくなる。

 

読んでいて

これ、ブログ書くときにも使える!

と、思わずメモメモ。

 

自分の中の感覚が整理されていくし

人に伝える言葉としても力を持ってくる

と思わされた章でした。

 

パン屋さんの「好き」を深堀り

で、ふと思い出したのが

先日行った

ずっと気になっていたパン屋さん。

 

この本のフレームワーク

パン屋さんの感想をさくっと書いてみたら

こんな感じ

 

▷ざっくり一言

また絶対行きたいパン屋さん!

▷なぜ?

美味しくて、珍しいパンも多くて、しかもコスパもいい。

▷具体的には?

大きなクリームパンが300円台!

しかもカスタードがおいしかった!(コスパ抜群)

 

(すぐ計量するのが私のクセ⏬️)

 

素材の組み合わせが、意外性があって食べてみたい(好奇心!)

シナモンが入ってないアップルパイ!(珍しい!)

デニッシュ系のパンが多めイカロリーだけど大好き!)

今回の「具体化」は

思考のものさしでいうと

「類似点・相違点」

が活きてるな〜と感じました。

 

他の店では見かけないアイデアや素材

そして比べたくなる価格設定。


「他と違う」がわかると

「自分がなぜ好きか」も見えてくる。

 

こうやって言葉にしてみると

  • 自分が惹かれた理由
  • 魅力だと感じたポイント

がはっきりしてくる。

 

「なんとなくいい」

「なんか引っかかる」という

自分の無邪気な感情も大事だけど

それを

「たとえば?」というキーワードで

少しずつ伝わる言葉に変換できる気がします。



ブログを書くときも、人と話すときも

「伝えたいことを、ちゃんと伝わる言葉にする

って大事。

そうすることで

自分の感想や主張が

ぐっと伝わりやすくなりそう。

 

自分の言葉で誰かの役に立つ?!

本の最後には

ちょっと素敵な習慣も紹介されていました。

 

毎日5分日記を推奨しているんですけど

日記を書くときは、最後に

 

私は、自分の言葉で誰かの役に立つことができる

と書くようにしてみる

 

うーん、としみじみ。

ブログを書いていても

「これ、誰が読むんだろ?」って思うこともしばしば。

でも、もしかしたら

誰かの気持ちにちょっとふれるかもしれない。

だったらまず、自分のために、書いてみよう。

そんな気持ちになれる一冊でした。

 

それでは〜。

 

 

 

<